2001年、アメリカにイスラムによる9.11テロが起こりましたが、その時、世界貿易センターという大きいビルディングが崩れました。ところで、その時攻撃を受けたのは、世界貿易センターだけではありませんでした。二番目に攻撃を受けた所が ありましたが、それがペンタゴンでした。ペンタゴンは、アメリカの国防総省を 言いますが、世界で一番強い米軍の核心機関であり、米軍の脳と心臓のような役割をする所がペンタゴンです。というのは、世界で一番安全な所がペンタゴンであり、最も完璧な要害がペンタゴンだとうことです。しかし、そのペンタゴンが攻撃を受けたということです。ペンタゴンが攻撃を受けたとうのが何を言いますか。世界中どこにも完璧な要害はないし、私たちを守ってくれる完全な力と助けはないということです。
聖書には、歴史的に強かった国々が登場します。アッシリア、ペルシャ、ギリシャ、ローマ帝国がありました。ところで、その中で今まで存在する国がありますか。 名前が残っている場合はありますが、元の力と権勢はなくなりました。結局この世の何も安全ではなく、永遠でもないということです。
しかし、今日の本文で、シオンは、大いなる方の都であり、最も強いやぐらだと 言います。シオンの前では強い国々も恐れおののいて、最も強力な武器も力を失う所がシオンだということです。それなら、シオンはどこでしょうか。シオンは、 地理的には神様が臨在される神殿があった、イスラエルのシオン山を言いますが、霊的な意味ではイエス様を信じる私たち、すなわち教会を言います。
Ⅰコリント3章16節は、こう語ります。
16 あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを 知らないのですか。
シオンが強くて堅固なやぐらである理由は、やぐらなる神様がシオンの中に宿っておられ、守ってくださるからです。ところで、聖書は何と言いますか。イエス様を信じる私たちが聖霊様が宿っておられる神様の神殿だと言います。というのは、 イエス様を信じる私たち一人一人が、そしてイエス様を信じる者たちの集まりで ある教会がまさにこの時代に霊的なシオンだということです。すなわちイエス様を信じることによって聖霊を受け、聖霊様がその内に宿っておられる人には、神様がやぐらになって、守ってくださるということです。
もちろん教会にもいろんな問題が起こり、教会はいつもサタンの攻撃を受けます。それで、時には、教会で傷つくこともあり、人に失望することもあります。しかしだからといって教会が失敗したり、私たちの信仰が力を失うことではありません。
歴史を見れば、教会は多くの迫害と攻撃を受けました。ローマ時代にもものすごい迫害を受けましたが、結局ローマはキリスト教を認めて受け入れました。日本でもイエス様を信じる信仰のゆえに30万の信者が殉教しました。しかし、今、教会を 迫害した者たちは消え去りましたが、教会は相変わらず日本に残ってイエス様に 対する信仰を守っています。今もイスラムを信じる国々と中国、そして北朝鮮ではイエス様を信じるという理由で、迫害を受け、命を失います。しかし、迫害を受けても、信者は増えていて、教会は成長しています。
むしろ教会は、憎まれれば憎まれるほどもっと祈るようになり、迫害を受ければ 受けるほどもっと純粋な信仰を守っていきます。また、イエス様を信じる者は、 問題と試練に会えば、あきらめて、絶望することではなく、むしろ祈って忍耐することによって、失敗でなく成長と成熟を経験するようになります。これが私たちのやぐらである神様が私たちを守られる方法であり、神様が私たちの内に宿っておられる限り、この世の何ものも、私たちを失敗させたり、私たちの信仰を奪うことができないということです。
この世に自分のものだと言えるのは何もありません。誰より自分を愛する親も、 いつかは自分を離れるようになり、自分が頼っている力と財産も自分のものと言えない日が必ず来るということです。また、私たちがいかに子どもを愛するとしても子どもを24時間守ることができません。
しかし、本文14節は言います。
14 この方こそまさしく神。世々限りなくわれらの神であられる。神は私たちを とこしえに導かれる。
この地のすべての人間関係は、いつかは別れるようになりますが、神様だけは、 永遠に私たちの神様になってくださるということです。また、自分が頼っていた ことが、もう自分を守ってくれなくなっても、神様だけは、私たちをとこしえに 守ってくださり、導いてくださるということです。
神様は私たちがこの地で生きる間だけでなく、私たちが死んで天国に言った後にも相変わらず私たちの神様であり、永遠に私たちを守ってくださる方だということです。その神様が私たちとともにおられ、私たちのやぐらになってくださいます。
愛する皆さん、神様はとこしえに私たちを導いてくださる方です。時には理解できない試練に会う時もありますが、その時にも神様は明らかな目的と計画を持って 私たちを導いておられるという事実を忘れてはいけません。
私たちの信仰の対象は人でもなく、牧師でもなく、教会でもありません。私たちの信仰の対象はイエス様であり、私たちの信仰の目的もイエス様であります。私たちはそのイエス様を信じているからのぞみ教会に集まって礼拝します。そのイエス様が私たちのやぐらになって私たちを守ってくださり、そのイエス様がとこしえまで私たちを導いてくださるはずです。そして、この世のすべての人が自分が離れて、ついに自分がこの世を離れても、イエス様は、私たちの神様になってくださるはずです。この信仰を持って、聖霊様が宿っておられる神様の神殿として、また、この時代の霊的なシオンとして、大胆に生きて行くのぞみ家族になることをイエス様の御名によって祝福致します。